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君のカラメル的愛情論

アラサージャニヲタが新米ママになりました。

所謂、安定期

病院を出ると、季節は変わり初夏の香りを感じる頃になっていた。ニュースでは暑い日が続くと報道があったが、その暑さすら私には愛おしかった。なんてったって、ずっとクーラーの効いた病室にいたからな!!!日差しも風も空気も全部が気持ち良くて、「太陽さん、おはよう♡」なんて口走りそうになる、漫画の主人公にでもなった気分だった。

 

しかし退院してすぐは、家でも絶対安静。出血が止まったとはいえ、切迫流産になったのだから、トイレ食事風呂以外は動いてはいけないと通告された。

それでも、病院じゃないだけ百倍まし!!!我が家!!!なんて居心地がいいんだ!!!

 

我が家は2Fに寝室があり、普段なら夫婦で寝ているのだが、妊娠中は階段事故が怖いので、こへさんは寝室、私はリビングに客用布団を敷いて別々で寝ることに。

上下の部屋で夜間エアコンつけるから、電気代…とんでもないことになったけど。

 

つわりも軽くなり、暫くはゴロゴロした生活をさせてもらっていたが、実はそんなに甘くはなかった。

 

つわりって再開するんだね(T_T)

 

吐き気が比較的治っていたのは2〜3週間くらいで、気持ち悪いのはまた再発してしまったのである。

といっても、前みたいに毎日数回吐くといった感じではなく、3日に1度吐く程の頻度に。

安定期といっても、私にとってはなかなか思うようには動けなかったので、相変わらず苦しさみたいなものは残っていたのだが、退院できたことによる精神的辛さみたいなものは若干緩和出来ていたのかもしれない。

つわりの終わりと退院

それは半ば、予定外のことでもあった。

 

ついに点滴をする部分が無くなり、私は痛みと辛さに耐えられなくなって、看護師さんに血管を探してもらいながら涙を流していた。

連日、あまりにも悲壮な表情を浮かべるせいか、看護師さんもとうとう入らない点滴に音を上げたのか、点滴を止めることを打診することになった。

切迫流産の出血は丸2日間止まっていたことと、食欲が少しずつ回復していたこともあり、様子見といった具合からスタート。

私も、点滴を打つのにもうウンザリなのと、早く退院して家に帰りたいので、無理矢理にでも食べた。水分も毎日2ℓを必ず飲むようにした。水で飲みづらい時は、水筒に氷をたっぷり詰め込んで氷を食べていた。

元気な時ならまだしも、この「飲食」という行為が妊娠中の私にはかなり辛かったのだが、それ以上に吐く以上に、針を刺すということが苦行だった。そりゃあもう必死だった。食べられなきゃまた点滴生活に戻る。しかも、腕はもう使い物にならないので、刺すとするなら足。聞くところによると、手の甲や指なんかよりめちゃくちゃ痛いらしい。あれより痛い思いをするなんて絶対に無理。耐えられない。

 

ノルマ、というより義務感のようになっていった。これが達成出来ない限り、私は家に帰れない。宛ら、アスリートのよう。

 

そして突然。

妊娠初期が終わり、安定期と呼ばれる妊娠中期に差し掛かったその第一日目。妊娠16週目。

朝、起きるといつもある不快感が無い。

それから私は、毎日決まってAM10:00〜12:00の間に1回は必ず吐いていたのだが、それが無い。

夜まで1度も吐かない。

それが、1日、2日、3日と続いた。

 

気持ち悪くない。

 

ごはんも完食できる…!

 

ついに退院の日がやってきた。

 

思えば、入院中こへさんはよっぽどの仕事(泊まり出張とか)じゃない限り、面会終了の10分前でも毎日顔見せにきてくれた。私がネガティヴになってめそめそしていても文句言わなかったし、伸びた髪の毛は汗でボサボサ(シャワーは2日に1度だったけどね)、ムダ毛は処理出来ず、肌はカッサカサ、おまけに目の前で何度も吐く…そんな人間として一番最低の部分を見せられても動揺を見せなかった。それには心から感謝しているし、そういう部分を見せられる相手で良かったなぁと思った。

 

入院中、こへさんが言った忘れられない言葉がある。

「俺が(子供を)望んだばっかりに、こんな辛い思いさせてごめんな」

それを聞いて、私は悲しいやら情けないやら。確かにこへさんの熱量は私を上回っていたのかもしれないが、子供を望んだのは私だって同じこと。妊活を考えた時点で、親になる覚悟を決めて挑んでいる。でも、こへさんなりのその気遣い方が、なんだか少し嬉しくもあった。この言葉を聞いて、私は自分のためではなく、この人のためにちゃんと産んであげたい、家族を作ってあげたいと思った。

 

退院の日、同室の同じく悪阻で入院しているママさん(私より3週遅れ)に挨拶し、彼女もまだ辛そうだったので励まし合い、義母さんに迎えにきてもらってようやく私は病院という監獄から出ることが出来た。

 

悪阻入院約2ヶ月。

それはそれは長い病院生活だった。

胎動

胎動を感じ始めるのは、個人差があるものの、大体18〜20週頃と言われている。

しかし、わたしが胎動を最初に感じ始めたのは16週の事で、かなり早い方だった。まだ若干つわりの残る中だった。痩せ型の人は早めに感じる事があるらしい。

 

初産婦にとって、初めての胎動は分かりづらいというが、私にはすぐに分かった。

妊娠前から便秘知らずの体質だった為か、普段から自分の腸が動く感じというのがなんとなくわかっていた。初めての胎動は、お腹のゴロゴロ感と似ている為、なかなか気付きにくいらしい。しかし私の場合、それが明らかに違うのが本能的に分かった。

 

コポコポ気泡が流れるような感じ。それから、ジェル状の保冷剤みたいなものをグニュグニュっと握るような感じ。

 

これまた痩せ型が更に痩せた為か、こへさんが手を当てても分かるほど。初めて感じた胎動に、こへさんはそれはそれは嬉しそうな顔をしていた。

 

ただ、残念ながら私にとって胎動はそれほど感動的なものではなく、つわりに加えてお腹がモニュモニュする感じがただただ気持ち悪く、さほど嬉しさを感じなかったのが本音…(ごめん赤子)

 

この頃、エコー写真でもお腹の赤子はかなり人っぽくなって、素人目でも顔のパーツがわかるようになってきた。背骨や、手の指なんかも写るようになっていた。ちょっと宇宙人ぽい。

エコー写真が唯一のつわりの緩和剤だった。とにかく辛い日は飽きるほど写真を何度も眺めては耐えていたのであった。

妊娠初期⑤〜貧血

切迫流産の診断を受け、程無くして貧血になった。

妊婦は貧血になりやすいらしい。体質的にそうなるだろうなと思っていたが、案の定である。

最初は口から受け入れられなかったので、貧血の薬も注射から。もう何本腕から入れてるんだろう。サイボーグになった気分。

貧血の注射は、見た目も真っ黒でさも気持ち悪くなりそうな色をしていたので、毎回私は布団を被って目をしっかり瞑ってから入れてもらっていた。

 

しかしこの頃、食欲も少しずつ回復傾向にあったので、貧血の注射は数回のみで、あとは錠剤での摂取になった。

 

この錠剤、まず飲むと若干気持ち悪くなる。そして便が真っ黒になって、ちょっとびっくりする…。

 

食欲は回復傾向にあっても、完食はまだ遠かったが、それでも意識的に鉄分は摂取しようと無理矢理食べた。(吐いてしまうけど、少しでも吸収されることを信じて…)

 

結果、錠剤飲んだ期間は6週間くらいだったと思う。

次から次へと問題が見つかりますねこの体は…

 

妊娠初期④〜切迫流産

妊娠14週を迎え、一般的につわりのピークが過ぎて楽になってくると言われる頃。(私には楽になる兆しは全くなかったが、それでも吐く回数は1日2回程度に減ってきた。十分辛い)

 

それは突然のことだった。

 

深夜、トイレに行って下着を降ろすと鮮血が広がっていた。

 

え、なに…?

 

動揺しながらも、用をたす。毎回量を計らないといけないので、カップに尿を出す。

真っ赤。

 

パニックになりながら、ナースコールを押した。つわりが辛くて、妊娠初期症状について色んなネット記事を読んでいたから怖くなった。初期の鮮血は絶対に良くないはず。もう涙目だった。

 

深夜だったこともあり、とにかくその時は絶対安静。トイレと食事以外は動いてはいけない指令。その日はそれから一睡も出来なかった。一刻も早く診てもらいたかったのだが、診察は2日後になった。

 

翌日、鮮血は治まってきたかのように思えた。生理のように真っ赤だった血は、茶色に変化していた。でもまだ安心出来ない。出血していることには間違いないのだから。気が気ではなかった。僅かな食欲もついに全くなくなり、体重は妊娠前から5kgも落ちていた。

 

明日になれば診察してもらえる。震えながら1日を待った。でも、マイナスなことばかり考えてしまう。何がだめだったんだろう頭の中をぐるぐるする。

 

多分、心と身体は直結していて、私のこの心理的ストレスも良くなかったのだと思う。この日の夜、再度鮮血があった。

 

もう、パニックの極み。ああ、もうダメなんだろうな。同室の人に迷惑がかからないように声を殺して深夜泣いた。看護師さんは、大丈夫だよって言ってくれたけど何を根拠にそんなこと言ってくれるのか、と全く安心出来なかった。精神的にボロボロだった。心配したこへさんが時間休をとって、翌日の診察に着いてきてくれることになった。

 

内診台に登るステップを上がる足が震える。今まで生きてきた中で何よりも怖かった。

先生が「赤ちゃん、大丈夫だよ。ちゃんと生きているよ」と言ってカーテンを開けてモニターを見せてくれた。小さな命が動いている。私は人目も憚らず泣いた。

内診が終わると診察室に呼ばれるのだが、内診室は男性立ち入り禁止のため、こへさんは外で待っていた。

内診室から出てきた私は何も言わずに大号泣していた為、こへさんは「ああダメだったのか」と思ったらしい。診察室で一緒に先生から話を聞いたときにヘナヘナしていた。部屋を出てから「(私の涙が)ややこしい!」と呆れられたが心底ホッとしていたようだ。

 

この日から私は「悪阻」に加え「切迫流産」患者に切り替わった。切迫流産とは、流産と名がつくものの、流産になった訳ではない。あくまで流産しかかっている(初期に出血がある)が、心拍が確認されている状態を指す。きちんと対処すれば、高い確率で十分妊娠の継続が可能になる。

 

切迫流産の治療法として、毎日24時間点滴になった。つわりの8時間点滴だけでも苦しかったのに、これがまたとんでもなく辛かった。

ただでさえつわりの点滴で頑張っていた血管が悲鳴をあげていた。1本で4日もたせる針を1日で4回刺し直すことなんてザラだった。看護師さん泣かせで、何人もの看護師さんが入れ替わり立ち替わり私の腕を刺していく。腕は注射の跡だらけで青白く、元々痩せ型だった腕は更に細くなりさながらゾンビのようだった。

なかなか入らない腕に何度も挑戦してくれる看護師さんに申し訳ないのと、とにかく痛いので、耐えられなくなって泣いた日もあった。もちろんつわりだってまだ終わらない。吐きながら点滴はしなくちゃいけなくて、なぜこんな思いをしなければならないのか、なぜ私は他にいる大勢の妊婦のように元気な妊婦になれなかったのかと責めた。そのうち、腕の血管が入らなくなり、手の甲や指、小指の横などからも打った(腕とは比べ物にならないくらい痛くて、私は打つ際に叫ばずにはいられなかった)

 

正直、しにたいと思ったし、しんだら楽になれる…と考えた。でも、こんな状態でも赤ちゃんは生きている。生きようとしている。毎日、自分の中で葛藤と戦っていた。家族以外には見せられない姿だった。

 

入院中、トータル100回以上は刺したはずだ。もうこの先一生注射したくないと思った。(そういう訳にもいかないんだけどさ)

妊娠初期③〜点滴の恐怖

私が注射嫌いな理由は二つある。

一つは、血が苦手なこと。

自分の鼻血と生理以外の出血は、身体が震えてしまうほど。他人の血は一切ダメ。

もう一つの理由は、よく看護師さんに失敗されてしまうこと。

 

この妊娠を通じて言われまくったのだが、私はどうも血管が物凄く細いらしい。赤ちゃん用の針で打つこともしばしば。あまり注射が得意ではない看護師さんが打つと、2回3回はやり直しすることもザラ。

 

悪阻の点滴のみだと、大体8時間くらいで投与が終わる。毎日のことなので、針の先は腕に刺したまま、4日毎に交換するのが通常のスタイルらしい。

 

しかし私の腕は、血管が細いことが原因なのか、とにかくすぐに血管がパンパンに腫れ上がってしまうのだった。入院して2週間もすると、普通は4日持たせるはずの針も、1日持たなくなるようになってしまった。

 

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分かりづらいかもしれないが、手首と肘の下の太さが全然違う。とにかく腫れ上がって、夜眠れなくなるほど痛かった。

 

もうそれからは看護師さん泣かせの日々。寧ろ、1本で1日もてばいい方。

いくら一瞬の痛みとはいえ、1日に3本も4本も打つのはやっぱり痛いし、何より日に日に腕が穴だらけになっていく。左右の腕を交互に変え、血管を休めながら注射した。

 

つわりでただでさえ苦しいのに、この注射がとにかくストレスだった。妊娠がこんなに辛いものだとは思わなかった。感情が全てマイナスになり、毎日泣いていた。死にたいとさえ思う日もあった。5月6月は笑った記憶がない。そのくらい壮絶だった。

 

しかしこの状態すらも、まだこの先に待ち受ける更なる苦難と比べれば、まだ序の口なのである。

妊娠初期②〜ポリープ見つかる

入院しながらの妊娠8週目。

定期的な健診の最中、それは起きた。

 

内診中(いつまで経っても内診は慣れない)

先生「あっ、ポリープ出来てるね」

私「へっ!?」

 

正直めちゃくちゃ焦った。ポ、ポリープ!?っていうかポリープて!?大丈夫なのそれ!?悪性のものだったらどうしよう!?この「へっ!?」の1秒くらいで物凄い色んなことを考えた。

 

先生「んじゃ、取っちゃうからね〜」

私「へっ!?!?」

 

取る!?!?え、この場で!?!?今すぐ!?!?それって痛いんですか!?エッちょっと待って心の準備がまだ……アッーー!!!

 

……っという間に終わった。

 

早すぎて拍子抜けだった。

(o_o)←ほんとにこんな顔してた。

 

先生「ガーゼ詰めてるからね〜。3時間くらいしたら取ってね〜」

私「ハァ…」

 

あっという間の出来事すぎて半ば放心状態であった。その時はハァという言葉を出すので精一杯だった。

 

そして3時間後。

アレッ!?先生はさも自分でガーゼ取ってねみたいな感じで言ってたけど、どうすりゃいいんだ!?

タイミング良く部屋にきた看護師さんに聞いてみる。

 

看護師「ガーゼの先がちょろっと出てるから、それをシュッと引っ張って出してね!」

私「じ、自分でですか…!?」

看護師「難しかったら呼んでね!」

 

と、いうことは自分でやらねばなるまい。

 

トイレでおそるおそる確認してみる。

お、おお…ホンマや…なんかちょろっと出てる…これを引っ張るんやな…

紐状のガーゼがゆっくりと出てきた。

これが、想像以上に長い。どれだけあるのかもわからないし、一気に引っ張る勇気もないので、気分は口から国旗がいっぱいぶら下がっているガーランドを出すマジシャンの気分。

ある程度出てきてもまだ終わらないので、思い切って力を入れて引っ張ってみることにした。

すると出てきたのは、テニスボール弱くらいの大きさに丸まったガーゼ。

 

もう一気に恐ろしくなっちゃったよね。こんなサイズのものが入っていたのかと思うと。出産ってこの何倍もの大きさの赤ちゃんここから出すの!?無理無理無理無理。

 

この時点で結構びびってしまった私なのであった。

 

ちなみに、ポリープは妊娠すると出来やすいものらしい。

殆どが良性のものなので心配はないそう。私のものも、検査の結果良性ということでとりあえず一安心。