つわりの終わりと退院
それは半ば、予定外のことでもあった。
ついに点滴をする部分が無くなり、私は痛みと辛さに耐えられなくなって、看護師さんに血管を探してもらいながら涙を流していた。
連日、あまりにも悲壮な表情を浮かべるせいか、看護師さんもとうとう入らない点滴に音を上げたのか、点滴を止めることを打診することになった。
切迫流産の出血は丸2日間止まっていたことと、食欲が少しずつ回復していたこともあり、様子見といった具合からスタート。
私も、点滴を打つのにもうウンザリなのと、早く退院して家に帰りたいので、無理矢理にでも食べた。水分も毎日2ℓを必ず飲むようにした。水で飲みづらい時は、水筒に氷をたっぷり詰め込んで氷を食べていた。
元気な時ならまだしも、この「飲食」という行為が妊娠中の私にはかなり辛かったのだが、それ以上に吐く以上に、針を刺すということが苦行だった。そりゃあもう必死だった。食べられなきゃまた点滴生活に戻る。しかも、腕はもう使い物にならないので、刺すとするなら足。聞くところによると、手の甲や指なんかよりめちゃくちゃ痛いらしい。あれより痛い思いをするなんて絶対に無理。耐えられない。
ノルマ、というより義務感のようになっていった。これが達成出来ない限り、私は家に帰れない。宛ら、アスリートのよう。
そして突然。
妊娠初期が終わり、安定期と呼ばれる妊娠中期に差し掛かったその第一日目。妊娠16週目。
朝、起きるといつもある不快感が無い。
それから私は、毎日決まってAM10:00〜12:00の間に1回は必ず吐いていたのだが、それが無い。
夜まで1度も吐かない。
それが、1日、2日、3日と続いた。
気持ち悪くない。
ごはんも完食できる…!
ついに退院の日がやってきた。
思えば、入院中こへさんはよっぽどの仕事(泊まり出張とか)じゃない限り、面会終了の10分前でも毎日顔見せにきてくれた。私がネガティヴになってめそめそしていても文句言わなかったし、伸びた髪の毛は汗でボサボサ(シャワーは2日に1度だったけどね)、ムダ毛は処理出来ず、肌はカッサカサ、おまけに目の前で何度も吐く…そんな人間として一番最低の部分を見せられても動揺を見せなかった。それには心から感謝しているし、そういう部分を見せられる相手で良かったなぁと思った。
入院中、こへさんが言った忘れられない言葉がある。
「俺が(子供を)望んだばっかりに、こんな辛い思いさせてごめんな」
それを聞いて、私は悲しいやら情けないやら。確かにこへさんの熱量は私を上回っていたのかもしれないが、子供を望んだのは私だって同じこと。妊活を考えた時点で、親になる覚悟を決めて挑んでいる。でも、こへさんなりのその気遣い方が、なんだか少し嬉しくもあった。この言葉を聞いて、私は自分のためではなく、この人のためにちゃんと産んであげたい、家族を作ってあげたいと思った。
退院の日、同室の同じく悪阻で入院しているママさん(私より3週遅れ)に挨拶し、彼女もまだ辛そうだったので励まし合い、義母さんに迎えにきてもらってようやく私は病院という監獄から出ることが出来た。
悪阻入院約2ヶ月。
それはそれは長い病院生活だった。