君のカラメル的愛情論

アラサージャニヲタが新米ママになりました。

妊娠中期の出血

22週目。

特に激しい運動もせず、ほぼ寝てる時間の方が多く、家事も1割ぐらいしかしていなかったのに、夕方頃突然出血があった。

鮮血ではなかったものの、本来妊娠中期は出血があるべきものではない。

 

ここは病院ではない。日中なのでこへさんもいない。お腹の子を守れるのは私だけ…!

動揺する心を無理やり落ち着かせながら、病院に連絡し、タクシーで向かった。

 

病院に着くと、分娩室に入らされ、お腹に張りの時間を測定する機械をつけられた。張りが強くなると、計測している針の山が大きくなって記録される。

 

これまで、私はイマイチお腹の張りというものがよくわからなかった。1時間に2〜3回ほどは張りがあってもおかしくないらしい。胎動は日毎に大きくなっていたが、ちょっと痛くなった時などは、ああ今動いたからだなーくらいに思っていたし、妊婦のお腹はこんなもんなのだと考えていた。

 

ところが、その計測器によってきちんと測ったところ、私のお腹は張りまくっており、その間隔は分娩の時並みですよ!と看護師さんに怒られた。29にもなって、大人に怒られるなんて…。

 

内診の結果は特に異常なく、子宮口も閉じていたので、今すぐどうこうという感じではないらしい。

薬を飲んでから張りの様子をまた計測して、数字が上がってる時が「張り」なんだなと分かったけれども、自分自身ではやっぱりイマイチよく分からない…。

自分で張りが分からなければ、入院だよと脅された(?)ので「なんとなーくこれかなってわかりました!」と慌てて返事をして逃げ帰ってきた。もう入院なんてまっぴらごめん。

 

張り止めの薬(ルテオニン)を2週間分処方されたものの、この薬の副作用がまた辛いのなんのって。

まず心臓がとんでもなくばっくばくになる。ただのバクバクじゃない。ばっくばく。全力疾走した後のばっくばくの感じに似ている。全力疾走のばっくばくは5分もすれば落ち着くけど、こいつは1時間以上その感じが続く。そりゃもう、死ぬんじゃないかって思わせるくらい。

それから、力が入らなくなって手が震えまくる。痙攣なんてレベルじゃない。スマホも持てない。もう、布団の中でうずくまるしかなかった。薬を飲むのを何度辞めようと思ったことか。お腹の中の赤ちゃんに何かあってはいけないと、その一心だけで飲み続けた。これだから薬キライ。

 

後で調べて分かったことだが、張り止めの薬はいくつか種類があるみたい。どれを飲んでも副作用は同じのようだが…。

 

つわり、再び

ヤツは蘇る、そう、何度でも…!

 

退院してから、なんとか騙し騙しやってきたが、8月突入と同時くらいにまた吐くようになってしまった。

ピーク時と比べればマシなものの、3日に1回くらい、多くても1日に2度嘔吐といった具合。洗面器が御守り代りというか、常に手元にないと不安。しかし洗面器で吐くと、自力での処理が大変なので、なるべくトイレに向かうようにしていた。(間に合わない事も多々あったけど…)

安定期に入れば、妊婦歯科検診へ行ったり、買い物行ったり出来るかと思っていたけど、そんな気力も体力も毛頭無い。

 

この時期、また食の好みに変化が。

よく食べていたものが

・アイス(妊娠中ずっと欲していた)

・ピザトースト(チーズがやたら食べたかった)

・牛乳(朝イチ飲むと膜が張って?吐きづらい)

・リプトンレモンティー(カフェインが入っているので1日2杯まで)

・梨

・カレー

・水炊き

・氷

乳製品が少し取れるように。しかし、ヨーグルトだけは相変わらずだめ。なんでだろう。

主品については、毎日カレーと水炊き交互でもいいくらいこの2つだとパクパク食べられた。

 

この時期くらいからやたら頻尿になってきたかもしれない。妊婦はなりやすいのだという。少ない量で何度も頻繁にトイレへ行きたくなっていた。

 

それから、シャワーの時間が初期からずっと辛くて、でも入らなきゃ別の不快感はあるしで、必ずこへさんが家に居る時間帯に浴びていた。いつ風呂場でぶっ倒れてもいいように。

上がると必ずヘロヘロになっていて、湯上りは脱衣所で氷を食べさせてもらいながら着替えたりしていた。髪の毛を乾かす体力なんか微塵も残っておらず、やっとの思いで身体を拭くのが精一杯。ごくごくと水分をとる元気がないので、氷を使っての水分補給は私にとってとても合っていた。氷、すごくオススメ。

 

夏場でまだよかったのかもしれない。これが冬だとだいぶ辛かったと思う。何をするにも寒いし、つわり中の温かい食べ物は食べにくいように感じる。乗り越えた世の中のママさん達、尊敬するなぁ。

 

戌の日

安定期を迎え、5ヶ月目に入った戌の日に安産のお参りに行ってきた。

なんと偶然にも、その戌の日に当たる日が私の誕生日。しかも大安。平日ではあったが、この日以上の吉日はないとみて、こへさんに有休をとってもらい、地元の神社へ。

 

事前予約も必要なく(田舎だから?平日だから?)初穂料の指定も無かったので、平均的な額を包み、入院中母に買ってきてもらっていた腹帯を持ってお参り。太鼓の音がすんごく腹に響いてびびる。

 

ちなみに腹帯は、昔ながらのサラシタイプではなく、腹巻のように輪っかになったものと、ベルトのようにマジックテープで締めるタイプのもの2種類を用意してもらった。

まだお腹が目立たない時期は、腹巻タイプのものをよく使っていたのたが(締め付けが強いので)、妊娠後期は専らベルトタイプばかりで過ごす日々。(この話についてはまた後ほど)

 

神社では、お札、御守り、神饌(中にお米とお茶が入っていた)を頂いて、30分もしないうちに終了。

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気が張っていたからか、吐くこともなく(若干の気持ち悪さはあったが)なんとか乗り切る。

 

あ、そうそう写真見て思い出したのだが、お参りに行く前、退院してすぐに、長かった髪をバッサリと切った。正直、つわり期間中に長い髪はめちゃくちゃ面倒だったし吐く時に邪魔だった。初夏だったので、暑かったし。

なので、妊娠を考える前に切っておくべきだったなぁととても後悔した。つわりがここまで酷くなかったら、短くする必要もなかったのかなぁ。

所謂、安定期

病院を出ると、季節は変わり初夏の香りを感じる頃になっていた。ニュースでは暑い日が続くと報道があったが、その暑さすら私には愛おしかった。なんてったって、ずっとクーラーの効いた病室にいたからな!!!日差しも風も空気も全部が気持ち良くて、「太陽さん、おはよう♡」なんて口走りそうになる、漫画の主人公にでもなった気分だった。

 

しかし退院してすぐは、家でも絶対安静。出血が止まったとはいえ、切迫流産になったのだから、トイレ食事風呂以外は動いてはいけないと通告された。

それでも、病院じゃないだけ百倍まし!!!我が家!!!なんて居心地がいいんだ!!!

 

我が家は2Fに寝室があり、普段なら夫婦で寝ているのだが、妊娠中は階段事故が怖いので、こへさんは寝室、私はリビングに客用布団を敷いて別々で寝ることに。

上下の部屋で夜間エアコンつけるから、電気代…とんでもないことになったけど。

 

つわりも軽くなり、暫くはゴロゴロした生活をさせてもらっていたが、実はそんなに甘くはなかった。

 

つわりって再開するんだね(T_T)

 

吐き気が比較的治っていたのは2〜3週間くらいで、気持ち悪いのはまた再発してしまったのである。

といっても、前みたいに毎日数回吐くといった感じではなく、3日に1度吐く程の頻度に。

安定期といっても、私にとってはなかなか思うようには動けなかったので、相変わらず苦しさみたいなものは残っていたのだが、退院できたことによる精神的辛さみたいなものは若干緩和出来ていたのかもしれない。

つわりの終わりと退院

それは半ば、予定外のことでもあった。

 

ついに点滴をする部分が無くなり、私は痛みと辛さに耐えられなくなって、看護師さんに血管を探してもらいながら涙を流していた。

連日、あまりにも悲壮な表情を浮かべるせいか、看護師さんもとうとう入らない点滴に音を上げたのか、点滴を止めることを打診することになった。

切迫流産の出血は丸2日間止まっていたことと、食欲が少しずつ回復していたこともあり、様子見といった具合からスタート。

私も、点滴を打つのにもうウンザリなのと、早く退院して家に帰りたいので、無理矢理にでも食べた。水分も毎日2ℓを必ず飲むようにした。水で飲みづらい時は、水筒に氷をたっぷり詰め込んで氷を食べていた。

元気な時ならまだしも、この「飲食」という行為が妊娠中の私にはかなり辛かったのだが、それ以上に吐く以上に、針を刺すということが苦行だった。そりゃあもう必死だった。食べられなきゃまた点滴生活に戻る。しかも、腕はもう使い物にならないので、刺すとするなら足。聞くところによると、手の甲や指なんかよりめちゃくちゃ痛いらしい。あれより痛い思いをするなんて絶対に無理。耐えられない。

 

ノルマ、というより義務感のようになっていった。これが達成出来ない限り、私は家に帰れない。宛ら、アスリートのよう。

 

そして突然。

妊娠初期が終わり、安定期と呼ばれる妊娠中期に差し掛かったその第一日目。妊娠16週目。

朝、起きるといつもある不快感が無い。

それから私は、毎日決まってAM10:00〜12:00の間に1回は必ず吐いていたのだが、それが無い。

夜まで1度も吐かない。

それが、1日、2日、3日と続いた。

 

気持ち悪くない。

 

ごはんも完食できる…!

 

ついに退院の日がやってきた。

 

思えば、入院中こへさんはよっぽどの仕事(泊まり出張とか)じゃない限り、面会終了の10分前でも毎日顔見せにきてくれた。私がネガティヴになってめそめそしていても文句言わなかったし、伸びた髪の毛は汗でボサボサ(シャワーは2日に1度だったけどね)、ムダ毛は処理出来ず、肌はカッサカサ、おまけに目の前で何度も吐く…そんな人間として一番最低の部分を見せられても動揺を見せなかった。それには心から感謝しているし、そういう部分を見せられる相手で良かったなぁと思った。

 

入院中、こへさんが言った忘れられない言葉がある。

「俺が(子供を)望んだばっかりに、こんな辛い思いさせてごめんな」

それを聞いて、私は悲しいやら情けないやら。確かにこへさんの熱量は私を上回っていたのかもしれないが、子供を望んだのは私だって同じこと。妊活を考えた時点で、親になる覚悟を決めて挑んでいる。でも、こへさんなりのその気遣い方が、なんだか少し嬉しくもあった。この言葉を聞いて、私は自分のためではなく、この人のためにちゃんと産んであげたい、家族を作ってあげたいと思った。

 

退院の日、同室の同じく悪阻で入院しているママさん(私より3週遅れ)に挨拶し、彼女もまだ辛そうだったので励まし合い、義母さんに迎えにきてもらってようやく私は病院という監獄から出ることが出来た。

 

悪阻入院約2ヶ月。

それはそれは長い病院生活だった。

胎動

胎動を感じ始めるのは、個人差があるものの、大体18〜20週頃と言われている。

しかし、わたしが胎動を最初に感じ始めたのは16週の事で、かなり早い方だった。まだ若干つわりの残る中だった。痩せ型の人は早めに感じる事があるらしい。

 

初産婦にとって、初めての胎動は分かりづらいというが、私にはすぐに分かった。

妊娠前から便秘知らずの体質だった為か、普段から自分の腸が動く感じというのがなんとなくわかっていた。初めての胎動は、お腹のゴロゴロ感と似ている為、なかなか気付きにくいらしい。しかし私の場合、それが明らかに違うのが本能的に分かった。

 

コポコポ気泡が流れるような感じ。それから、ジェル状の保冷剤みたいなものをグニュグニュっと握るような感じ。

 

これまた痩せ型が更に痩せた為か、こへさんが手を当てても分かるほど。初めて感じた胎動に、こへさんはそれはそれは嬉しそうな顔をしていた。

 

ただ、残念ながら私にとって胎動はそれほど感動的なものではなく、つわりに加えてお腹がモニュモニュする感じがただただ気持ち悪く、さほど嬉しさを感じなかったのが本音…(ごめん赤子)

 

この頃、エコー写真でもお腹の赤子はかなり人っぽくなって、素人目でも顔のパーツがわかるようになってきた。背骨や、手の指なんかも写るようになっていた。ちょっと宇宙人ぽい。

エコー写真が唯一のつわりの緩和剤だった。とにかく辛い日は飽きるほど写真を何度も眺めては耐えていたのであった。

妊娠初期⑤〜貧血

切迫流産の診断を受け、程無くして貧血になった。

妊婦は貧血になりやすいらしい。体質的にそうなるだろうなと思っていたが、案の定である。

最初は口から受け入れられなかったので、貧血の薬も注射から。もう何本腕から入れてるんだろう。サイボーグになった気分。

貧血の注射は、見た目も真っ黒でさも気持ち悪くなりそうな色をしていたので、毎回私は布団を被って目をしっかり瞑ってから入れてもらっていた。

 

しかしこの頃、食欲も少しずつ回復傾向にあったので、貧血の注射は数回のみで、あとは錠剤での摂取になった。

 

この錠剤、まず飲むと若干気持ち悪くなる。そして便が真っ黒になって、ちょっとびっくりする…。

 

食欲は回復傾向にあっても、完食はまだ遠かったが、それでも意識的に鉄分は摂取しようと無理矢理食べた。(吐いてしまうけど、少しでも吸収されることを信じて…)

 

結果、錠剤飲んだ期間は6週間くらいだったと思う。

次から次へと問題が見つかりますねこの体は…